中村紀洋 #99
渋谷高校→近鉄・大阪近鉄(1992年~2004年)→ロサンゼルス・ドジャース(2005年)→オリックス(2006年)→中日(2007年~2008年)→楽天(2009年~2010年)→横浜・DeNA(2011年~2014年)
2007年成績 .293 20本 79打点 OPS.836
NPB通算404本のホームランを放った近鉄出身のアーチスト
オリックス所属だった2006年は開幕前からケガするなど、故障続きのシーズンとなり
打率.232 12本塁打の成績に終わると9月に手術したケガを「公傷」と主張するなど球団と揉め事を起こし最終的には自由契約を求める。
6度の契約交渉を経たのち球団側が自由契約を吞む形となり2007年1月に自由契約。
しかし獲得に現れる球団はなく2月1日に架空のキャンプインとして自主トレーニングを続けた。
2月12日に中日がテスト生としてキャンプ参加を呼びかけ15日からキャンプに合流。
実質入団テストとしてキャンプ期間を過ごし、25日に育成選手で球団と契約を結んだ。
オープン戦で結果を残し開幕直前の3月22日に支配下契約を結ぶ。
シーズン開幕後は6月に右太ももを痛め登録を抹消されたが6月末に復帰。
シーズンでは広角に打ち分けるバッティングでチーム2位の20本塁打を記録し、
リーグ優勝は果たせなかったがクライマックスシリーズで巨人を破り日本シリーズ進出を決めた。
日本シリーズでは持病の腰痛が悪化しており、鎮痛剤を打ちながら試合に強行出場。
打率.444 4打点の活躍でチームの日本一に貢献し自身初の日本シリーズMVPに輝いた。
なお中日の野手が日本シリーズMVPを獲得したのは中村が初めてで近鉄入団と在籍経験のある選手のMVPも初となる。
また2007年はゴールデングラブ賞を獲得。両リーグでのゴールデングラブ獲得は平野謙・新庄剛志以来3人目の快挙となった。
近鉄・オリックス時代や中日時代ではまるっきり別人のような立ち振る舞いだったことから
黒いノリさん(近鉄・オリックス)・白いノリさん(中日)と表現されるなど癖のある人物だった。
2023年は中日でコーチを務めていたが、同年限りでチームを退団。
2024年1月より浜松開誠館高校の硬式野球部指導を行っている。
パワナンバー:13300 90131 61048
対左B:対左.312 8HR
バント◯:中日時代はチームプレイを行うなど献身的な野球を見せた。犠打も4つ記録
併殺:18併殺はリーグトップ
今作はノリさんが収録されているので中日時代のノリさんを作成するのが密かな目標でした。
まあCSでやられたトラウマがあるので2007年はあまり思い出したくないんですが・・・
度々トラブルを起こしましたが野球に一途な男なんだなという印象ですね。
豪快なバッティングフォームと堅実な守備で近鉄バファローズはこの男なしでは語れませんね。
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